カチン族のための祈りは、今や世界規模になっています。
Christian Solidarity Worldwide (CSW)という組織があります。この組織は、「声なき人々のために声となる」をモットーに働く世界的なキリスト教組織です。信教の自由が保障されていない国々で、キリスト教徒たちの人権が脅かされている現状。このような現状を打開することを目指しています。
この組織と他の人権団体が、カチン族の窮状を世界に知らせようとしています。世界が、ビルマに圧力をかけるように働きかけるべきであると、主張しているというニュースがありました。
クリスチャンの村々が200も破壊され、教会も破壊され、一般市民が攻撃されています。声なき人々の声となりましょう。
カチン族を知っていますか?
ミャンマーのカチン族について知り、彼らのために祈るクリスチャン向けのサイトです。彼らは今、大きな危機に直面しています。その事実を日本のクリスチャンたち、特にバプテストの人たちに知ってほしいと思い、ブログを立ち上げました。カチン族の方々から寄せられた情報を、公開します。
2013年3月26日火曜日
2013年3月8日金曜日
平和への努力は?
2013年3月5日8時ミャンマー軍のカチン族に対する攻撃が各地で始まりました。
一時期は、タイでの話し合いがもたれたり、政府側も平和的な対応をするアクションは示していました。少しであっても、カチンの方々は、期待を示したに違いありません。私の友人も、気は抜けないが、少し安心したという雰囲気でした。ところが、ぶりだしにもどりました。人権侵害も、相変わらず続いています。不当な逮捕や、市民への攻撃、集団レイプなどです。何も改善していません。
3月11日に中国国境沿いで話し合いがもたれるようです。また失望でしょうか。期待することが難しいです。
一時期は、タイでの話し合いがもたれたり、政府側も平和的な対応をするアクションは示していました。少しであっても、カチンの方々は、期待を示したに違いありません。私の友人も、気は抜けないが、少し安心したという雰囲気でした。ところが、ぶりだしにもどりました。人権侵害も、相変わらず続いています。不当な逮捕や、市民への攻撃、集団レイプなどです。何も改善していません。
3月11日に中国国境沿いで話し合いがもたれるようです。また失望でしょうか。期待することが難しいです。
2013年2月27日水曜日
ミャンマー宣教史―カチン族を中心に:1800-1900年
カチン族には、バプテストの人たちが多いことを以前書きました。カチン族について理解するためには、彼らの宗教的な背景を知っておく必要があると思いました。
そこで、どうして、カチン族の間でバプテストが増えたのか、まとめてみました。
1700年から1800年にかけては、ミャンマー(ビルマ)における宣教は、カトリックによるものであった。特に、イタリヤの「聖パウロ律修聖職者会」(Clerici Regulares Sancti Pauli)による働きが多きかった。しかし、ビルマにおける内戦や、教皇庁によるビルマ伝道の二分化などによって、1700年代半ば、その伝道は力を失っていく。結果として、カトリックの伝道は、ビルマ族など仏教徒にとどまり、カチン族などの少数民族には宣教がなされなかった。
1800年代に入ると、プロテスタント教会がミャンマーの宣教に着手し始めた。その宣教は、カトリックと同じく、ビルマ人に対するものであった。まず、1807年、イギリス領インドのプロテスタント教会が、Marden とChaterをビルマに宣教師として派遣した。しかし、まず、Mardenが短期間で帰国し、ついでChaterも1812年の国内政情不安によって、帰国した。Chaterの後任となったFelix Careyは、William Careyの息子であったが、宣教に挫折し、ビルマのアヴァにいるBodawpaya王のもとで公務につくことを選んだ。その後、アメリカに宣教のバトンが渡され、バプテストの宣教師アドニラム・ジャドソンがビルマ、ラングーンの土を踏むのが、1813年7月13日である。ジャドソンも、また、当初はビルマ人に伝道を行っていたようである。しかし、1827年、カレン族にジャドソンが初めて接触し、1828年にKo Tha Byuという、もと強盗殺人犯が回心した。Ko Tha Byuは、カレン族へのカレン族による初めての宣教師となり、12年間で、1270人のカレン人がバプテスマを受けたのであった。
カチン族への宣教が始まるのは、ジャドソンがカレン族に接触した、10年後、1837年のことであった。この年、Euginia Kincaidというバプテストの宣教師が、北部ビルマのMogawngにおいて、初めてカチン人と出会った。彼は早速、アメリカの宣教団体に、宣教師派遣を要請する手紙を書いた。その要請にこたえ、1878年、Albert J. Lyonが、北部ビルマに派遣されることになった。しかし、LyonがBhamoに到着するや否や、滞在1カ月でマラリヤに罹患して病死した。カレン族の伝道師や、シャン族への宣教師Josiah Cushingと協力して、カチン族に伝道する計画であった。
1878年のLyonの死は、カチン族宣教への礎となった。米国において、カチン族に対する宣教が急務であるというアピールがなされたのだ。それに応じたのが、イリノイ州で牧師をしていたWillam H. Robertsであった。1879年、彼は妻とともにBhamoに出発した。カレン族の伝道者とともに、Bhamoで働いた。しかし、政情が不安定であったこともあり、当初の伝道は困難を極めた。当時の宣教レポートに、その時の困難が赤裸々につづられている。強盗、襲撃、宣教師館の破壊、夫人の病死などについてである。さらに、夫人の死のために、一時、帰米を余儀なくされた。しかし、再婚して、1881年、再びカチンのもとに向かった。今度は、新たにカチン族の宣教師として任命されたKronkhite夫妻が同行した。Robertsは、Bo Gale Shue lin、S’peh、Ko theやアメリカの宣教師などと共に、カチン族に対する宣教を行い、困難な時期を経て、ついに大きな成功を収めた。1882年3月19日には、7人のカチン人が回心し、バプテスマを受けた。その7人とは、老齢のBawmung La夫妻とその息子夫妻、Nangzing Yung夫妻、Lazum Kaw Lum、そしてGawlu Hatng Yawngという奇形の男性であった。カチン族の最初の実である。バプテスマの後に、Roberts一家は、他のアメリカの宣教師たちやカレン族の伝道者などと共に、初めて主の晩餐を持つことができた。
7人のバプテスマの後、宣教は大きく拡大した。バプテスマを受けるための基準は高かったのにも関わらず、バプテスマを受ける人々が続々と起こされた。カチン族に対する教育も、このころ発展している。Roberts一家によって、最初の小学校がつくられ、カチンの子どもを教育し、生徒たちとビルマ語からカチン語へ、マタイ伝を翻訳した。1890年12月22日、新たな宣教師Ola HansonがBhamoに到着すると、ローマ字をもとにして、カチン語のアルファベットをつくった。これが、カチン語文字化への初の試みであった。1890年には識字率が0パーセントであったが、その後100年以内に100パーセントになった。Olaは、更に、11000語を収録するカチン語-英語辞書や文法書などを編纂し、聖歌と聖書の翻訳、作曲、典礼文作成なども手掛けた。
2013年2月26日火曜日
中国側の動き
カチン州は、中国の雲南に隣接しています。
雲南の方にも、呼称は違いますが、同じカチン族の方々がおられます。
今、その雲南省で、中国の軍隊が軍事訓練を始めたそうです。
それは、カチン州での戦いが、まだ続いているからです。
また、その戦いが中国に飛び火したとき、中国軍が勝てるようにするためです。
雲南省には、最近までに、少なくとも4発の砲弾が飛び込んできていると報じられています。
中国政府も、国境沿いの防衛力強化を図っています。
ただ、心配なのは、中国政府による難民の扱いです。
今でも、カチン族のIDPが、雲南省の親類やホテルに逃げ込んでいる現状があります。
家がなく、国を追われ、雲南省に入り込んでいるのです。
中国本土のクリスチャンたちも、カチンの難民を案じて、援助をしています。
しかし、中国政府側は、家を追われた難民を強制送還しています。
家がないのに、どこに帰るべきなのでしょうか。
中国政府は、これから、国を追われて逃げてくるカチンたちにどのように対処するのでしょうか。
ミャンマー政府が平和の道を模索すると言いはしたものの、改善がない状況。
この状況が続く限り、難民は増え続けるのです。
雲南の方にも、呼称は違いますが、同じカチン族の方々がおられます。
今、その雲南省で、中国の軍隊が軍事訓練を始めたそうです。
それは、カチン州での戦いが、まだ続いているからです。
また、その戦いが中国に飛び火したとき、中国軍が勝てるようにするためです。
雲南省には、最近までに、少なくとも4発の砲弾が飛び込んできていると報じられています。
中国政府も、国境沿いの防衛力強化を図っています。
ただ、心配なのは、中国政府による難民の扱いです。
今でも、カチン族のIDPが、雲南省の親類やホテルに逃げ込んでいる現状があります。
家がなく、国を追われ、雲南省に入り込んでいるのです。
中国本土のクリスチャンたちも、カチンの難民を案じて、援助をしています。
しかし、中国政府側は、家を追われた難民を強制送還しています。
家がないのに、どこに帰るべきなのでしょうか。
中国政府は、これから、国を追われて逃げてくるカチンたちにどのように対処するのでしょうか。
ミャンマー政府が平和の道を模索すると言いはしたものの、改善がない状況。
この状況が続く限り、難民は増え続けるのです。
2013年2月24日日曜日
難民キャンプの状況
戦争で、家を追われたカチンの人たちは、どのような状況なのでしょうか。
その実情を、少し知ることができました。
難民キャンプは、人であふれかえっていて、衛星事情も非常に悪いということです。
最近では、多くの子どもたちが、下痢をうったえているそうです。
下痢で苦しんでいた小さな子どもたちが、命を落としている現状もあります。
難民キャンプは、今人がいっぱいです。あたらしく難を避けてやってきた人たちは、キャンプにすら入れません。現地のバプテスト教会などが、そのような人たちを受け入れているようです。
どんな人づての情報も、においや音や雰囲気までは伝わってきません。想像するだけです。
幸せな環境の中で、衛生面においても、何においても、文句の言いようがない生活をしている日本人です。どこまで彼らの悲惨を、正確に想像できるのでしょうか。
その実情を、少し知ることができました。
難民キャンプは、人であふれかえっていて、衛星事情も非常に悪いということです。
最近では、多くの子どもたちが、下痢をうったえているそうです。
下痢で苦しんでいた小さな子どもたちが、命を落としている現状もあります。
難民キャンプは、今人がいっぱいです。あたらしく難を避けてやってきた人たちは、キャンプにすら入れません。現地のバプテスト教会などが、そのような人たちを受け入れているようです。
どんな人づての情報も、においや音や雰囲気までは伝わってきません。想像するだけです。
幸せな環境の中で、衛生面においても、何においても、文句の言いようがない生活をしている日本人です。どこまで彼らの悲惨を、正確に想像できるのでしょうか。
2013年2月17日日曜日
ミャンマー少数民族と停戦協定
2月20日にタイで、平和のための会談が行われます。
前回は、そのことについて情報を受けて書きました。
カチン族の戦争を終結させるための話し合いです。
この会議には、ニュースによれば30くらいの少数民族の代表が参加します。
ミャンマーには、多くの民族が暮らしており、多くは独立を願っています。
最近では、10の民族解放軍が、停戦協定を政府と結びました。
最近、日本財団が食糧を寄付したカレン族もそのひとつです。
停戦協定によって、外国からの支援を受けやすくなったということはあるようです。
専門家によると、カチン族の平和への道のりは険しいと言います。
この会談に対する期待は、カチンの方々の間でも強いとは言えない感があります。
慎重に見守ります。
前回は、そのことについて情報を受けて書きました。
カチン族の戦争を終結させるための話し合いです。
この会議には、ニュースによれば30くらいの少数民族の代表が参加します。
ミャンマーには、多くの民族が暮らしており、多くは独立を願っています。
最近では、10の民族解放軍が、停戦協定を政府と結びました。
最近、日本財団が食糧を寄付したカレン族もそのひとつです。
停戦協定によって、外国からの支援を受けやすくなったということはあるようです。
専門家によると、カチン族の平和への道のりは険しいと言います。
この会談に対する期待は、カチンの方々の間でも強いとは言えない感があります。
慎重に見守ります。
迫る2月20日のこと
ミャンマー政府が、カチン族の指導者たちと会談を行うことにりました。
場所は、タイ北部のチェンマイです。
2月20日を予定しています。
カチン州での停戦について話し合うためです。
2013年2月20日の会合を、神様が平和実現のために用いてくださるよう祈ります。
カチンの人たちが今心配していることが、ひとつあります。
それは、本当にミャンマー政府が約束を守るかどうかということです。
政府が彼らをうらぎることがないように・・・。
ミャンマー内部において、各民族と平和を保つことができますように。
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